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【100名城】松代城【真田十万石】

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長野県長野市の名城「松代城」です。

松代城は珍しく、松代藩文武学校と藩主の屋敷(真田邸)が現存しています。

松代藩文武学校は2020年秋、真田邸は2021年春にリニューアルされました。

入館料がかかりますが、ぜひご登城の際には立ち寄ってみることをおすすめします!

目次

松代城(海津城)について

歴史が好きな人にとっては旧「海津城」と書いた方がピンとくる方が多いかもしれません。

海津城と松代城のそれぞれの時代に分けて解説していきます。

海津城時代

海津城が築城された年は詳しくわかっていませんが1560年前後と推定されます。

初代城代は武田四天王の一人、高坂昌信です。

武田信玄が海津城築城命じた理由は越後(新潟県)の上杉家に対処するためであることは間違いないでしょう。

有名な川中島の戦いは五回ともすべてこの付近で行われています。

激戦となった四次川中島の戦いでは海津城から武田軍の本隊と妻女山別働隊が出陣しています。

この戦いでは武田軍本隊(8000人)・妻女山別働隊(12000人)と上杉軍(13000人)が激しい戦いを繰り広げ、

武田軍が約4000人・上杉軍が約3000人の死者を出す大きな戦いとなりました。

その後武田氏が滅亡した後は、織田家家臣の森長可が城主となります。

しかし織田信長が本能寺の変にて倒れると、天正壬午の乱(てんしょうじんごのらん)にて上杉氏の支配下になります。

上杉景勝が会津へ国替えとなると豊臣家の支配下となり、田丸直昌が城主なりました。

松代城時代

1600年に森忠政が城主となった際に松代の「松」の元となった「待城」と改名されました。

1603年に徳川家康の6男松平忠輝が城主となった際に「待城」をさらに「松城」と改名されました。

1622年に真田信之が加増移封される。(以後10代の間で約250年間続きました。)

そして1711年の3代目藩主真田幸道のときに幕命により「松代城」と改名されました。

建物に関しては、1625年に火事により二の丸を焼失。さらに1717年火事にて本丸・二の丸・三の丸を焼失。

1742年には千曲川の洪水で大きな損害を被り、1853年にまたしても火事で花の丸御殿を焼失したりと、この時代では深刻だった火災や洪水などの被害に悩まされていたことがよくわかります。

松代城のつくり

松代城について詳しく解説していきます。

松代城は東と南を山地に囲まれて、北と西を千曲川を背にもち外堀とする天然の要害です。

その立地もあってか、千曲川の洪水にて度々被害を受けています。

絵で再現された松代城の縄張りです。

模型で再現された松代城の縄張りです。

堀が9つ、本丸・ 二の丸・三の丸 ・花の丸からなる。

城郭建造物

まず初めに見えてくるのが内堀と太鼓門です。

松代城のシンボルのような建物です。

太鼓門

近づいてみるとその大きさに圧倒されます。

本丸から撮影した太鼓門です。

再現された建物とは思えないほどの重厚感があり立派です。

本丸

松代城の本丸は他の城に比べて小さめですが、太鼓門や石垣に囲まれた上にさらに山に囲まれています。

その景色はまさに天然の要害です。

本丸のパノラマ写真です。

四方八方が石垣と大きな門に囲まれています。

本丸から東の方角の景色です。松代城が山に囲まれているのがわかります。

堀を挟んで広がっている平地が二の丸です。

同じ橋から見た本丸を囲っている石垣です。堀との並びが綺麗です。

石垣と山の対比です。

実際に現地へ行くと松代城の周りは高い山と幅の広い川が多いことがよくわかります。

戌亥の櫓

同じく本丸にあるのがこの戌亥の櫓です。

松代城で最も高い櫓で、本丸からみて北東に位置し眺めがきれいです。

戌亥の櫓から西の方角の写真です。

手前に内堀と土塁がきれいに並んでいます。

江戸時代末期に戌亥の櫓から見えた景色が展示されていました。

昔は千曲川まで一望できていたみたいですね。現在は千曲川をはっきり確認はできませんでした。

太鼓門の反対の北の方角に位置する門が北不明門です。

登城した日は暴風雨が吹き荒れており、雨水が溜まっていました。

付属建造物

真田邸

松代城に登城したときに必ず立ち寄って欲しいのが、この真田邸です。

真田邸が建てられたのは、江戸時代末期の1864年です。

松代藩9代藩主の真田幸教(ゆきのり)が義母の貞松院のために作りました。

真田邸内には、表座敷や居間、庭園、3つの土蔵、当時の風呂場やトイレなどがあり、幕末の大名がどのような暮らしを

していたのかがよくわかります。

また保存状態もよく、全国的にみても幕末の貴重な文化財であることは間違いないです。

真田邸の正門前です。

門に使われている木材がこの建物の歴史を物語っているようです。

この門の右隣に受付があり、スタンプを押させてもらえます。

真田邸の中から見える庭園です。

非常に落ち着いた雰囲気で心が落ち着きます。

真田邸の中央あたりに藩主の部屋があります。

10畳くらいの広さです。

旧樋口家住宅

真田邸のすぐ隣に旧樋口家住宅が建っています。

藩主の邸宅に隣接していることから真田家の家臣では相当位の高い家臣であったことがわかりますね。

入館料は無料で上級武士の暮らしがよくわかります。

松代藩文武学校

真田邸と並んでおすすめしたい施設がこの松代藩文武学校です。

全国的にも珍しい現存する藩校です。

2021年にリニューアルされたことで、昔ながらの歴史はそのままに繊細な映像でのガイダンスやバーチャル砲術体験など映像技術を利用して五感で歴史を体験出来る素晴らしい施設となっています。

文武学校が建てられたのは、江戸時代末期の1855年です。

こちらも松代藩9代藩主の真田幸教(ゆきのり)の時代に完成しました。

まず入り口の左手に柔術所がありました。

柔術所はリニューアルされて砲術体験所になっていました。

ここでは2種類の銃と小型の大砲の使い方を学べます。

自分で実際に銃弾を込めて、3Dの的を狙って撃つことができました。

これまでたくさんの城を見てきましたが、これは中々出来ない体験だと思います。

入館料が必要ですが、払って損はないと思います。

門の右手には剣術所があります。

木刀や竹刀で剣術の型を学んだとのことです。

またこの場所に長州藩士の高杉晋作が来ていたとの記録もあるそうです。

実際に中を見てみると昔の道場の雰囲気をそのままに残しています。

また各稽古場には、藩主の見物所があります。

さらに奥へ進むと右手に東序(とうじょ)と、

左手に西序(せいじょ)を見ることができます。

「序」は教室を意味しており、東序では歴史等を西序では作法などを教えていたそうです。

これまでの写真をみてわかる通り、登城当日は突然の暴風雨により大荒れでした。

しかしスタッフの皆さんが機転を利かせて濡れていない建物から案内していただき、その間に一生懸命清掃していただいたことでスムーズに城内を見て回ることができました。

本当にありがとうございました。

最後に

真田十万石まつり

松代市では例年10月頃に真田十万石まつりが行われます。

登城と同時に祭りを楽しむのもいいかもしれません

スタンプ設置箇所

松代城のスタンプ設置箇所は1か所です。(2021年9月現在の情報です。)

松代城のスタンプ設置箇所は、真田邸の受付です。

入場料を払わなくてもおせます。

営業時間

4月~10月 9:00~17:00

11月~3月 9:00~16:30

真田邸の近くには市営駐車場(真田邸より徒歩3~4分ほど)と松代城無料駐車場の2つあります。

車で登城される方はお使い下さい。

市営駐車場

真田邸

住所〒381-1231 長野県長野市松代町松代1
アクセス長野I.Cより10分
営業時間4月~10月 9:00~17:00 (入場16:30まで)
11月~3月 9:00~16:30 (入場16:00まで)
休館日年末年始(12月29日~1月3日)
入館料一般400円 小中学生100円
・毎週土曜日と5月5日は小・中学生無料
・9月第3月曜日と11月3日は無料
電話番号026ー215ー6702
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