明石城について
明石城は江戸時代、外様大名が多かった西国に睨みをきかせるために築城されました。
明石城の特徴は、2つの櫓です。
駅側の入口を通って左手に見えるのが、とき打ち太鼓です。
毎時00分になると人形が太鼓を打つとのことですが、当日は故障中とのことで、音はなりませんでした。
明石公園菊花展覧会
当日は、毎年10月中旬頃開催されている菊花展覧会が行われていました。
盆栽が多く並べられていますが、小品盆栽という普通の盆栽より小さい豆鉢という鉢を使った盆栽でした。
小品盆栽は3つの部に分かれており、それぞれの部で競技が行われます。
(1)「鉢個別の部」 一鉢ごとに見栄えを競い合う。
(2)「鉢組の部」 三鉢一組で見栄えを競い合う。
(3)「花壇の部」 縦横20センチの鉢の中に自由に飾り、見栄えを競い合う。
どの鉢もすごく綺麗です。
鉢の中に一本の松が植えられている一般の盆栽とは違った新しい盆栽の一面をみることができます。
明石城に登城の際は、時期を合わせてみるのも良いかもしれません。
武蔵の庭園
武蔵の庭園は、明石公園サービスセンターの隣にあります。
初代城主小笠原忠政から命をうけた宮本武蔵が明石公園内の現在の陸上競技場付近に建設し、その指揮をしたそうです。
またその他にも宮本武蔵は明石の街づくりも手掛けたといい、剣の腕だけではなく政治の手腕の高さも伺えます。
その後大正11年(1922年)に現在の位置に移されました。
庭園の入り口です。庭園全体が丁寧に管理されており、綺麗です。
この小さな建物が御茶屋です。
藩主が客をもてなす際、使用されました。
この庭園の大部分を占めるのがこの乙女池です。
当日は池の色が少し赤くなっていました。
池の隣には井戸もあります。
城主遺愛の水
井戸から更に先へ進むと石垣の前に石碑が立っています。
この石碑には8代目城主の松平直明(まつだいらなおあきら)が好んでお茶を点てるために使用した井戸の水が湧き出ています。
遠くから見るとこのような形になっています。
今も僅かですが水が湧いており、乙女池の方へ流れています。
城の構造
続いて明石城の構成を紹介します。
明石城には天守閣はありません。
櫓で固く守られた本丸を中心に東に二の丸、東の丸と続き西は稲荷曲輪が並んで周囲を石垣で囲ってあります。
石垣の四方八方を堀で囲って、東西からの敵を防ぐことを意識したようなつくりです。
明石城の中堀は広く、隣に通っている駅前通りの道路より広いです。
さらに堀の中にはいくつもの噴水があり、景観が良いです。
城の北には大きな堀と池が広がっています。
まず城のすぐ北にある堀が桜堀です。
橋を隔てて東西に分かれており、とても広いです。
桜堀のちょうど真ん中に橋がかかっており、図書館や剛の池に繋がっています。
少し樹木が多く見通しが悪いですが、市街地近くの公園の割には自然を多く感じ取ることができます。
明石城にはその他にも堀があります。
城の東側の堀が薬研堀です。桜堀や中堀と比べると規模は劣りますが、こちらも大きな堀です。
櫓
明石城の櫓は現在2つあるのですが、どちらとも他の城から移築されたものです。
2つの櫓は、現存する最古の三重櫓の一つです。
巽櫓(たつみやぐら)は、同じ明石市にある船上城(ふなげじょう)から移築されたと伝わるもので、一度焼失し、現在の櫓は再建されたものです。
背後に明石大橋を見ることができ、明石市の景観と合わせてとてもきれいです。
坤櫓(ひつじさるやぐら)は、あの豊臣秀吉の隠居のために建てられた伏見城から移築されたとされている櫓です。
伏見城は秀吉死後戦火によって一度焼失しましたが、徳川家康によって再建されました。
この櫓おそらく家康が再建したものを移築されたものだと思います。
実は明石城には元々3つの櫓があったそうです。
それが艮櫓です。
元々鬼門という忌み嫌われた方角を抑えるものだったのですが、明治時代に建築の学習教材として使うため解体されたそうです。
本丸・二の丸・東の丸
2つの櫓に挟まれた敷地に本丸があります。
本丸からの眺めは絶景で、2つの櫓はもちろん明石駅や明石大橋など明石市の景色を一望できます。
本丸の一角に天守台があります。
こちらからの眺めも綺麗です。
天守台からは木々に覆われた稲荷曲輪が見えます。
本丸の東にある二の丸です。
現在は様々な木が植えられた静かな空間になっています。
二の丸からさらに東へ進むと東の丸へ辿り着きます。
駐車場
駐車場は公園の南、山陽明石駅から堀を隔ててあります。
スタンプ設置箇所
中に入って受付の向かいの机にスタンプがあります。