丸岡城について
丸岡城は小高い丘に建てられた、二重三階の望楼型天守です。
城のつくりとしては、非常にシンプルでわかりやすいものとなっています。
織田信長の家臣柴田勝家の甥で養子となった柴田勝豊によって築かれました。(天守は江戸時代初期に建造)
その後1948年にマグニチュード7.1の福井地震によって天守と石垣は一度倒壊しています。
1951年に復旧工事が行われ、1955年にほとんど元々の部材を再利用して 修復再建されました。
人柱伝説
他の名城でも話が出てきますが、当時の建築技術では斜面に石垣や天守を建てることは相当困難だったそうです。
そこでいくつかの城には、人柱を立てて石垣や天守を建てたという伝説が残っています。
特に人柱には女性が選ばれることが多いような傾向があります。
この丸岡城にも「お静の人柱伝説」が残っています。
天守が何度建てても崩れたため、片方の目が見えないお静という女性が人柱に選ばれたといいます。
お静は生活に困窮しており、2人の子供のうち1人を武士にしてもらうことを条件に人柱になったといいます。
その後天守は無事に完成したのですが、殿様が国替えとなったので約束は果たされなかったそうです。
丸岡城の内部構造
丸岡城の城内は至ってシンプルです。
3階建ての天守閣からは街を一望できます。
他の城とおなじく、石落としなどの設備もしっかりとついています。
2階
2階の広さは1階の3分の1程度で12坪ほどです。
2階の東西には1階の屋根を利用した破風部屋という狭い部屋があります。
さらに南北には出部屋という部屋が城から少し出っ張る様な形でつくられています。
3階
3階は2階と同じくらいの広さですが、眺めが若干違います。
井戸(雲の井)
丸岡城の隣には小さな井戸があります。
この井戸にも伝説があり、戦国時代に北陸は、一向宗という宗教を信奉する農民によって納められていました。
そこに織田信長が攻め込み、越前国(今の福井県)柴田勝家によって統治されました。
この丸岡城は柴田勝家の甥、勝豊が城主でしたが、たびたび一向宗の残党が攻め込んで来たそうです。
しかしこの井戸から大蛇があらわれ城に霞(かすみ)をかけて白を守ったという伝説があります。
この霞の伝説から丸岡城の別名は、霞ヶ城となりました。
スタンプ設置箇所
スタンプは霞ヶ城公園管理事務所(丸岡城の入場券販売窓口)にあります。
駐車場は営業時間6:30~20:00の間で駐車料金は無料です。
霞ヶ城公園管理事務所(丸岡城の入場券販売窓口)
住所 | 〒910-0231 福井県坂井市丸岡町霞町1 |
アクセス | バス…【丸岡バスターミナル】下車 徒歩10~15分 自家用車…JR福井駅から約60分 |
営業時間 | 8:30〜17:00 (入館受付は16時30分まで) |
休館日 | 年中無休 |
入館料 | 大人 450円 小人(小・中高生) 150円 |
電話番号 | 0776-66-0303 |